2011/2/1
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トイレを収益化できるか。今後の低成長時代において、官・民問わず清潔で充実したトイレの普及が続けられるか否か、その答えの一部はここにあるのではないだろうか。
『トイレの収益化』と聞けば、最近見かけるようになってきた有料トイレをまず思い浮かべるかもしれない。しかし、実際に収益化を実現するには、何もその方法だけに限られるものではない。
歴史上のトイレから収益化を考えてみる。
歴史的に日本のトイレ事情は、諸外国に比べ大いに先進的で衛生的であったことが知られている。そもそも日本においてトイレは鎌倉時代にできたといわれる。当時から人間の糞便を堆肥として利用していたため、人間の糞便を効率的に集積するためのツールとして成立したといわれている。それまでの日本では、老若男女を問わず、特にトイレという場所を設けず、家屋の周囲で用を足していたようである。
この、鎌倉時代に完成したトイレは、機能的な発展も遂げ、江戸時代には長屋毎、屋敷毎に1箇所ずつトイレがあり、そのほか、公衆トイレまで整備されたようである。驚くべきことにこの公衆トイレには休憩室まで設けられ、休憩室ではお茶が振舞われたとか。
一方、先進的な文化を誇ったとされる西洋でのトイレ事情はどうだったのであろうか。こちらは有名な話であるが、例えばパリでは糞便が街中に散乱し、これによる悪臭と路面のぬめりが強烈であったという。これはパリに限らず、同じ欧州の都市でも状況は同じだったようである。このため当時の欧州では、香水はその悪臭を紛らわすため、ハイヒールは糞便を踏んでもあたらないようにするために登場したものといわれている。こんなところからも当時の文化先進地域、欧州の状況がいかに劣悪であったか想像できる。
では、なぜここまでトイレ事情が違っていたのであろうか。それは何といっても人間の糞便を堆肥に再利用していたか否かである。欧州ではその宗教も関係して人間の糞便を畑に撒くことを嫌い、堆肥として利用する文化がなかった。一方の日本では、人間の糞便は堆肥として重宝され、よって田畑も大いに肥えたといわれている。であるから、江戸時代のトイレは宝の山であった。公衆トイレが整備され、お茶まで振舞われたのもうなずけるのである。また、江戸では他の地域より食文化が豊であったため、江戸の人糞は地方のそれより質が良かったようで、特に大名屋敷の人糞は高値で取引されたとのことである。
これがトイレ収益化の原点ともいえ、日本のトイレ収益化の歴史は、日本のトイレの歴史といっても過言ではないだろう。また、同時に究極の環境循環型社会が構築できていたともいえよう。
この、人糞の取引は明治時代以降も盛んに行われたが、下水道の整備や浄化槽の普及などによって終わりとなる。
現代に目を移して人糞を見てみると取引は行われておらず、下水処理場などで集中的に処理が行われている。この過程で肥料を生産するケースもあるが、これで収益が生めるかといえば現在の技術では高コスト過ぎる。収益事業にまでなっているとはいいにくい。
現代、トイレ収益化の実現可能性が高い手法は、大きく (1).トイレへの広告掲出 (2).トイレの有料化 (3).トイレでの物販の3種類と考えられよう。これから複数回にわたり、これら3種類のトイレ収益化事情について、最近のトレンドも踏まえ見ていきたい。
REST.jp編集部